公式LINEを夏至のころにはじめてから、約3カ月、もうすぐ秋分。
沙侑穂の『自分研究』の過程での「ね~きいてきいて」のようなものかと思いきや、
悠祐基が、沙侑穂がぽんと投げた素材を見事に論理的に料理(?)してくれています。
悠祐基ならではの切り口。
あるときのLINE投稿をご紹介します。
水色が沙侑穂投稿、紫色が悠祐基投稿です。
沙侑穂が好き放題投げて、悠祐基がキャッチ・回収して、オチをつける、という流れが確立しつつありますね。今回は、悠祐基のオチは割愛しております(公にするのはya・・・ゲフンゲフン)
あらためて読み直すと分かりにくいところがありますが、LINEのライブ感ってことでご容赦ください。
こんにちは〜🍃
あっという間にもう8月〜 沙侑穂です〜🌻
みなさん、いかがおすごしでしょうか?
獅子座のシーズンに入ってすぐ、7月29日にあった獅子座の新月🌚
そして、今日は蠍座上弦の月🌓。明後日の7日は立秋。
そろそろ、
潜在意識から浮上してきたテーマを言語化できそうって感じなので、投稿します。
『あなたの新しい物語をつくる』
もうその時ですよって、
言われてる(気づきを促されている)気がする。
その言われ方(促す出来事)はみんなそれぞれ。
「私はだれか」「これが私」っていうことを語る、物語。
具体的には、世界観、価値観、概念、認識パターン、思い癖…
自我、または、コンフォートゾーンといってもいいかなぁとも思います。
でね…
今回、私が体験したのは、
自身の経験を誇りに変えてきたという「私の物語」を根底から覆されるようなことがありました。
聞いてくれたらうれしいです。(長文なんです)
今はそのことが
「もうあなたのその物語は終わりましたよ。気づいてくださいね。」
っていうことだったんじゃないかと思うんだけれど、受け容れるまで時間がかかりました💧
「そうしないと生きられなかった。 そうすることで生きてきたの。
ようやく、それを誇りに変えられたの。私はこれからなの。」
っていう私に対し、
「そうしているから、本当に欲しいものは手に入っていない。
それを止めないと、本当に欲しいものは手に入らない。
そうしているから、あなたには人の気持ちがわからない。
それを止めないと、人の気持ちが伝わってこない。
でも、
そうしていない状態をあなたは知らないから、
止めるということがあなたはわからない。」
と言われましてん。
そうしないと生きてこれなかったのに、
それが原因で、欲しいものは手に入らず、人の気持ちもわからないって。
その上、
それを止めるということが私にはわからないって、言いつつも、それを止めなさいって。
なぞなぞ ❓
一体、どうしろっていうん ❓❕
でね、
そのメッセージを受けた後の私の心の動きを振り返ると、
エリザベス・キューブラー=ロス 著『死ぬ瞬間』という、
死を宣告された人がそれを受容していくまでの5段階が書かれている本があるのですが、
まさにその5段階に似た過程を経験しました。
兎に角、受け入れ難くてジタバタしました。
ある意味、
私という“自我の死” だったんだなぁって思ったんです。
その5段階を私のジタバタぶりとともに、
本書に掲載されているインドの詩人・思想家・作曲家の“ゴダール”の詩も転記します。
(本来の段階のイメージがわくかなぁと思うので)
※なお、5段階は順番に進むとは限らないそうです。
第1段階・否認と孤立
「人間は自分自身に対して防柵をきずく」
そんなはずはない。
仮にそうだとしても、今現在の私ではなく、以前の私へのメッセージに違いない。
時間軸が間違っているんだ、とか、翻訳者のフィルターがかかっているんだ、
とか、マインドが激しく動く。
そして、そのことから距離を置いた。
いや、もういいです。って感じ(孤立)
第2段階・怒り
「私たちは世界を読み間違え、世界が私たちを騙しているのだと言う」
なんで!
今まで必死に取り組んできたことが間違いだったのか。
自分の内面をみて、自分を知ること、過去を誇りに変えてきた自負がある。
私の何がわかる!!
何にも知らないくせに!!!
という憤り、悔しさと怒りがわく。
第3段階・取り引き
「木こりの斧はその柄を木に求めた。木はそれを与えた。」
そうか💡
私がよりよくなるために届いたメッセージなんだ。
それを止められないなら、止める・止めないのフェーズではなく、
もっと高い視点をもって、可能性に対してオープンになればいいんだ。
わからないことは可能性でしかない✨
...と考えた。
(※振り返ってみると、これ、やりがち。
思考をこねくり回して、私、ちゃんと気づいたから、もうわかったから、これでいいでしょ~的な取り引き。これから悪いところは直すから許してくれるでしょう的な取り引き。)
私が「気づけたよー可能性にハートをひらくってことなきがする~」と言うと、
悠祐基が「しっくりこない。違和感がある。」といいましてね。
ひと呼吸おく….。
「そうなのかもしれない。でも、今の私には、ここまでしかわからない。」
(※このとき私は「取り引き」からおりることができたのだと思う。
ゴダールの詩は正直よくわからなかったけれど、自分自身を切り倒す道具となる木こりの斧、その斧をつくる柄として自分自身の一部を与える。ということは、自分自身以外に許しや答えを求めることと同じことなのだろう。)
第4段階・抑うつ
「世界は、ためらう心の琴線の上を、悲哀の音楽を奏でながら、疾走していく。」
そうして、
何しても無駄なんだ、どうせ…
徒労感と無力感。
深い悲しみが心の奥からからじわじわとわいてきた。
第5段階・受容
「昨夜の嵐は金色の平和の冠をこの朝に贈った」 (詩は別の章からのもの)
ふと、気づく。
『私』という物語の内にいたことに。
それに気づいたということは、その外にでたということ。
たぶん。
気づいた後も、
私の物語の外にでられるんだろうか…という不安がよぎる。
すると、
通りすがりの車のナンバーが私の誕生日だったり、
通りすがりの草叢のツユクサの美しい青に目を惹かれて、はっと今に戻る。
そして、大丈夫だ。
という確信をもつ私がいる。
たぶん、そのことのほんとうの意味はわからないと思う。
けれど、今はそれでいいかなと思っています。
以上、沙侑穂でした🍃
暑い日が続きますね。
「来時は空手、去時は赤脚」な姿で八神純子を聴きながら
日々在宅ワークに励む悠祐基です。
さて、今回も沙侑穂のフォロー投稿やってみます😊
沙侑穂の今回の投稿も、すごく本質を表しており、
かつ本来の自分に気づくためのプロセスになっているなーと思いました。
(③フェーズ『取り引き』のときの沙侑穂はまーめんどくさk・・・ゲフンゲフン)
最終フェーズの⑤『受容』という在り方。
巷で流行りの「そのままのあなたでいいんだよ〜ん💕」的な
表層的なものではないと思うんです。
『受容』という状態は、別の言葉で表現すると、
手放し、赦し(×許し)、執着がない、サレンダー、中庸、博愛、ニュートラル、統合、
止揚(アウフヘーベン)、数秘「9」の在り方、といったところでしょうか。
どれも語りつくせないくらい深淵な言葉です。
フェーズ①~④を経てどうやったらフェーズ⑤に行けるのか、
は実に多くの方法がありますし、
これだけやればOKといった万人に効く特効薬も存在しないのだと思います。
ただ唯一共通するものがあるとすれば、
「そこにちゃんと向き合うことを決めること」
なのではないかと私は思うのです。
二律背反的な如何ともし難い二元性の葛藤を繰り返し繰り返した経験を経て、
そのどちらでもない在り方にたどり着くこと。
清濁を併せ呑んだものが時間をかけて血肉となってようやくたどり着いた境地は、
螺旋階段を登った先にある一つ上のステージです。
そして階段を登れば登るほど、
身軽で軽やかになり美しい景色を望むことができるのです。
いや、階段を頑張って登るというより、
自分の素晴らしい部分に気づかせるためにそれが敢えて目を背けたくなるような汚れてるように見える状態になっていて、
それを無条件に愛でるようになるまでの美しい「物語」を紡いでいく。
この地球に生まれてきた本当の目的は
これを自ら体験することだと私は確信しているのです。
とある心理学療法では、物語をとても大切にしており、
その自分の歩んできた物語そのもので自分自身を癒します。
どんなに否認して孤立して怒って悲しんで人を傷つけて利己的で抑うつ的で理不尽で苦痛に満ちたことがあっても、それは魂を磨くためのとてもとても美しい物語なのです。
皆さまはどんな美しい物語をお持ちでしょうか?
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