なぜ二人でその場にいることを大切にするのか

Unison✡worksは二人で活動している。なぜ二人で活動しているのか、改めて考えてみた。
沙侑穂考察-第2弾


・スピリチュアルな観点から

一人が二人であるということは、
一が二であることではなく、まったく別の次元の世界につながることになる。

私たちがひとりひとりであるという、この基盤はすでにあり、その個の前提に囚われることなく、
お互いが自分として、自分がまたお互いとして、
個では得ることのない、二つの世界が一つになるという世界。

1人のときのエネルギーと2人でいるときのエネルギーがまったく違う。
そのような2人でいる必然をその場に現すため。

そして、
それが世界に喜ばれることだと思っている。

・自分を知るという観点から

私たちはみな、自分の内面(心)を通して、外の世界をみている。
私たちの心が皆それぞれ違うように、みている世界もそれぞれ違う。

相手に見えていない世界を伝えるために、また、見えない心を分かり合いたいために、
言葉を使ったり、触れあったり、コミュニケーションをとる。

よく相手(パートナー)は自分の“鏡”と例えられるが、
私たち2人の場合は、お互いがお互いの死角にいるようなもので対面の鏡には映らない。

世界を360度の円に例えてみると、
私たち2人はみている世界が90度違うようなものだ。

180度違うというのは、正反対。同一線上にある。鏡を正面からみているようなもの。
90度違うというのは、方向性そのものが違う。軸がずれている。

例えるとこんな感じ、
180度    楽しい音楽 ⇆ 悲しい音楽
90度  音楽じゃない

そもそも、前提が違う。

お互いに「お前は一体何の話をしているんだ?」となるわけで。
2人の世界の見方の違いは、言葉の違いでもある。
同じ言語なのに、言葉の定義も微妙に違う。

相手をジャッジする、相手におもねる、相手を怖れる、相手をコントロールしようとする等々、
そのような心の状態で言葉を発すると、忽ち、私たちは意思疎通ができなくなる。
相手が何を伝えようとしているのか、その言葉を選んだその背景、その想いをくみとれないと、どれだけ言葉を重ねても、何度話し合っても、通じ合えない。

相手の世界に心をひらかない限り。

なぜ、がジャッジするのか、おもねるのか、怖れるのか、コントロールしようとするのか、自分を知っていないと、心はひらけない。
心をひらいたふりは通じない相手だから(笑)。

私は夫を理解したい。
夫は私を理解したい。

その願いは、Unison✡worksの原動になっている。

夫の数秘術も私の占星術も、自分の全体性(円)を知るためのツールで、全体性をみようとしている。

私たちは“鏡”を超えた先で出会いたいのだ。

まだ、道の途中だけれど。

そんな私たちだから、
Unison✡worksとして、わたしたち二人がその場におり、二人の持つ視点から、お客様と対話し、お客様の全体性をみようとする。そして、それぞれの言葉で伝える。

そのことに何か意味があるのだと思う。

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