その人が人生をどう捉えているかによってトランスフォーメーションゲーム®︎の体験はそれぞれ違う。それでも、ゲームに参加を決めるということは、自分を変えたい何かがあるということだ。
トランスフォーメーションゲーム®︎(👈 ファシリテーターとなった悠祐基が後日ちゃんと説明する投稿をします。今はとりあえず日本トランスフォーメーションゲーム®協会のURLを貼っておきます。以降、「TFG」と表記します)に2回参加した。太陽が乙女座にある時と、天秤座にある時だったのだけれど、そのシーズンのテーマがベースにあるなぁって思った。その話はさておき…
TFGは一言でいうと『リアル人生ゲーム』らしい。ぴったりの表現だなぁと思う。
ゲーム盤という世界で各プレイヤー(参加者)が自身の人生をすすめていくが、プレイを始める前に、プレイヤーは今回のゲームに参加する「意図」を表明しなければならない。
TFGの設定は私たちの人生の縮図みたいだ。
私たちは意図をもって地球に生まれてきている。生まれる時に忘れてしまうけれど、本当は深いところで知っている。
ハイヤーセルフ(高次の自己)が定めた意図に沿って、私たちは限りある命をもつ人間として生まれる。同時代の人々と共にこの世界を生き、様々な出来事に遭遇し、選択を重ねながら、目的までの道を進んでいる。
一方TFGも、プレイヤーが意図を決めてから盤上に生まれる。決められた制限時間(1Dayの場合、8時間)があり、最大4名のプレイヤーで成り立つ世界。サイコロをふって出た目によって様々なスクエアに遭遇し、選択し、コマを進めていく。
両者の大きな違いは、ハイヤーセルフではなくプレイヤー”自身”が意図を決めることだ。そして、その意図を忘れることはない。
それぞれ貴いプロセス
意図は、”自分であること”へコミット(自分の人生を自身のものとして負うこととか、すべての経験を受容することとか)をしたうえで、向かいたい先があって、そこに、葛藤や矛盾が無い状態なんじゃないかなと思う。
自分を生きる覚悟みたいなもん。腹を決めるという感覚。決めたら、あとは委ねる。ということ。
自分には“無意識”も含まれるし、コンフォートゾーンから出るしかないから、まじ怖いんだけれど。
でも、TFGに参加すると決めた時点で、具体的にはなんかわからんけれども怖いを超えたい、何か変えたいって思っているんじゃないかなぁ…意識していなくても。
私たちには意図があって、目的までのプロセス(道のり)がある。
何も成し遂げてないし、本当に自分が何をしたいのかわからない、日々やり過ごしているだけ、本音は何もしたくない、特に問題ない、別にしたいこともない、という状況であったとしても、それはプロセスのひとつの体験。
ただ、誰にも『変化する時』はあって、その時は本当に変わる。
否応もなく変わるしかなくなる状況に追い込まれてから変化するか(それすらも体験)、自ら変化を選ぶかの違いはあれど。
意図はプロセスを加速する
意図を言葉にして表明するまで、自我と自己のぎりぎりのせめぎ合いのようなものがあると思う。
「今まで問題なくやってきたし現状維持でいいじゃない。」「今できることから少しずつやろうよ。」「今持ってるものを見直してみようよ。」「既に手元にあるものはキープしておこうよ。」とか、建設的とも思える自我の声。
自分を守ろうとするのが自我の存在する意味なので、それもあり。それに、変化するときには変化するし。階段を一段ずつ登っていくことで次のフロアに辿り着けるから。
でも、次のフロアに早く行きたかったら、自分が本当は何を怖れているのか見極める。知らないから怖いのだ。だから不安になる。
意図を決めるということは、道を選ぶということに似ている。
頭の中にあるふんわりしたイメージが言葉にならないのは、言語化に慣れていないということもあるけれど、何かを避けている場合もあるかもしれない。
言葉にするということは、そのふんわりしたイメージを切り分けていく作業になる。切り分けるとは、選択するということ、いる・いらないを選ぶということ。もしかしたらあったかもしれない可能性を手放す、ということになるから不安になる。
または、本当に恐れていることに向き合わないために、ふんわりで包んでいるのかもしれない。核心の周りをああでもないこうでもないとグルグルしている感じ。核心に近づきそうになると怖いから、また離れていくためにああでもないこうでもないと言う感じ。
目の前に可能性の道が何本もあるように錯覚しているけれど、深いところでは決まっているんだと思う。その道しかないんだと。わかっているけど”選ぶ”という意志。本当にこれでいいのだろうかと思う。でも、私が選ぶのだからその道が正解と思っていい。そして、本当に正解だったと解るときがくる。
自由意志とは「未知」を選ぶことなのかなって思う。
意図した先に遭遇する恐怖や痛みが既にわかっていて、それでもなお、その意図を表明したプレイヤーを目の当たりにして、そう思った。
新たな景色、世界がみえてくる。
それが変容なんだろう。
意図を表明するまでは1人。
だけれど、それからは運命のプレイヤーたちが共にいる。
TFGのなかでは、肩書も役割も仕事も性別も年齢といった属性は無関係で、人生の目的も違うプレイヤーがそれぞれ自身の道をすすんでいく。それでも、プレイヤー同士は関ることになる。同じ世界に生まれているから。
人生は楽しい
理不尽とも思える痛みも、感謝も、悲しみ、喜びも、私たちの人生にある。長い時を経て、恨みが感謝に変わる時がきたり、絶望が喜びに変わる奇跡のような出来事があったりもする。
そんな出来事を誰かと共有できることは人生の醍醐味だと思う。
時間と空間に制限されたこの四次元時空では、その共有がなかなか難しいこともある。TFGの仮想的な時空間で私たちはそれを体験できる。これは、本当に面白い。
制限時間内にゴールに到達することはほとんど無い。
だけれど、TFG終了後、プレイヤーたちはそれぞれの人生に日常に戻り、前とはなにか違っている。それはプレイヤーにしかわからないのでぜひ体験してみてほしい。
というわけで、
最高のファシリテーター悠祐基と応援団長🚩沙侑穂がお待ちしています。
(⇧悠祐基以外のTFGに参加したことがない沙侑穂がいっている)